梅雨に入る前、部屋を吹き抜ける風が心地いい季節です。紅白の薔薇が道にこぼれるほど毎日咲きます。
なるべく窓は開けておきたい、外と中が繋がっている状態の方がなんとなく心が落ち着きます。締め切った部屋に長時間は辛いけれど常に窓全開というのは現実的に難しいので、音楽やコーヒーで密室をごまかすことになります。以前いたアトリエはドアも開けていたのでよく猫が入室して勝手にくつろいでいました。
風の入る窓の近くに一人で座ってぼうとしながらコーヒーのつまみに外の景色や画集を眺めたりするのを楽しみにしながら制作をします。まあ大抵普段からぼうとしているのですが・・・。出かけない時はだいたい毎日同じような日々。
制作は作者の中では浮き沈みがありますが、傍から見ていたらぼうとしているかごろごろしているか思いついたようにずうっと描いているかほとんど気まぐれに遊んでいるように見えるかも知れませんね。
メキシコで本を出版したという哲学者の方と今日お話しましたが、哲学者は自分の学びたいことのために嫌なことも一生懸命勉強して糧にするけれど、作家は好きなことを野生的に探りものをつくると指摘されました。
やっている側からするとまあそういう作家ばかりではないだろうと思いますが、「やっていて気持ちがいい」がものをつくる上で占めている割合も侮れないのではないかという実感はあります。(仕上がりや見た目が心地いいとかいう話とは別です。行為そのものについてです。)
しかも経験から言うとそれが本当に一線を越えた「気持ちいい」になると作品が結果的に生き生きするようなものになっていったという気もします。あまり自分が乗っていないと作品にもそれが出てしまう。怖くもあり、愉快でもあります。
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