朝、同じ散歩道を週に2~3度歩くようになってから5年経ちました。ただ気分が良いので歩き始めただけだったのですが春夏秋冬歩くと感度の鈍い自分でも季節を感じるようになってきました。
ハナミズキ、栗や柿、ブナ、コナラ。麦畑菜の花畑茶畑に葡萄や瓢箪の蔦が絡む、蜘蛛、蓑虫。白菜や大根畑の周りは菊が咲く。銀杏と松の大木の下は毎年どっさり落ち葉。水仙、芍薬、牡丹、百合が足元を賑やかにする。立派な竹林がしんとした道に響かす音色は飽きがこない。殺風景な真冬には南天の赤が映えます。
田舎道、しかも同じ道というのがじんわりと毎年少しづつ季節を自分の中に染み込ませてくるようでそういうものに対して心が開かれ「個」、というものを少し薄れさせる気がします。そういう感覚をカタチに出来ないかと思い銅版画にし始めました。巡る季節のように着実に進めたいものですが「我」が入ってくるのでそう達観出来ません・・・。
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