2羽の烏の話

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 怠け者が後になって罰を受けたり、苦労したり、死んでしまったりと泣きを見る昔話はよくありますが、怠け者がうまくいく話もあります。  皆んながせっせと働く中、ごろごろしてばかりの男。ある日も木の下で寝転んでいたところ、上の方から2羽の烏が話しているのを耳にします。(非日常へと導く役割は鳥類が多いですね。)それをきっかけにして、男は奮起し、大金持ちになって幸せに暮らした、  とさ。  この話を聞いたときに、作家にもあてはまるなと思いました。男は、他の人から見れば働かず、好きな時にごろごろしている怠け者に映ることでしょう。だからこそ、烏の話が聞けたのではないでしょうか。「烏の話を耳にして~・・・」などとさらっと語られるので、つい読み飛ばしそうになるのですが、通常の状態では、烏の話し声は、人間には聞き取れません。  「2羽の烏の話し声」とは一体何でしょう。そして怠け者以外の人には、何故烏の声が届かないのでしょう。男が幸運だっただけなのでしょうか。  もうひとつ大事なのは、その声を聞いた直後、男はついに自ら動くというところです。耳にした何かを現実と擦り合わせる工夫がそこには確かにあります。  ・・・昔話の怠け者からは学ぶことが案外多いかもしれません。    障子には影絵、開ければ猫。あけたてしながら毎日制作。
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 来月の個展で飾るペン画では最大の作品、完成しました。「栖(すみか」というタイトル。  スケッチした雉を中心とした、「鳥」に焦点を絞って描いた作品です。  山道で不思議な屋敷にたどり着いた、という男の昔話「見るなの座敷」から受けた印象に近づけたと思います。  テーマは、鳥がきっかけになっています。目の前の鳥でありつつ、日常と非日常の合間を行き来する存在としての、それでもあります。  人が魔法で鳥にされたのではなく、鳥が人に化けている、という昔話の面白さは、例えば自然と人間の関わり方を考えさせます。広い意味では人間も自然の一部です。しかし人間は、いつも自然そのものにはなれない、と昔話の中では語られます。自然は自分から近づいてきつつも、その正体にこちらが気づいた時、即座に別れがやって来ます。  その一瞬の邂逅が美しい物語として残ったのでしょうか。  自分から見て、巨大で、何やら謎めいていて、麗しく、そして恐ろしいものと触れ合う瞬間がある、ということの非日常性。  鳥は鳥人は人として暮らしつつ、昔話が語られる度にまた出会うのかもしれません。  最大とは言えF8ですが、今年から始めた新作ペン画。初めて発表します。どのように受け止められるか今から楽しみです。

描くことの名

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 雉をいただいたので描く。  まず単純に描くのが好きなので、自分だけのメモ代わりに絵を描いておこう、という楽しみがあります。そういう場合は「スケッチ」という言葉がなんとなく浮かびます。最も軽い気持ちで取り掛かる故に、枠をはずすようなある種の自由度があり、普段の作品では気がつかないものに出会ったりと、発表する制作の補完としての大切な場所を占めます。「デッサン」や「クロッキー」なんかもこの中に入ると思います。  次に、こういう偶然の出会いの中でも、その時の自分の感覚にぴったりくる場合は、その感覚を確認します。手を動かしているうちに働いてくる部分があるのですが、そういう時は単なる楽しみやメモの「スケッチ」からもっとこれはなんなのか、をはっきりさせようとする「ドローイング」という心持ちになります。必要部分の意識的なメモです。それを絵に描くことでどういう風になるかの逆算が、自分の場合はこの辺りから徐々に出来るようになります。  その中から更に踏み込んで何かを表現したい、という気持ちが高まった時に「エスキース」という段階に移行します。「作品」をつくるため、という確固たる目的がある状態の最終確認です。整理して、取捨選択する段階。ここが結構難しく、ここまできてボツになるものも沢山あります。でもこれをやっておかないと作品を支える土台が弱く、途中で挫折してしまう可能性が高まります。理想は、「エスキース」を終えた時に、頭はすっきりと冷静だけれど、制作に取り掛かる心は、待ちきれないほどにわくわくしていことです。  描く絵は色々段階があります。入れ替わったり、順序もばらばらだったり飛ばしたりとケースバイケースなので曖昧ですが、飽くまでも自分の場合の区切りです。まだまだそれぞれの段階に創意工夫の余地があります。

SNSのメモ

 再来月に銀座三越にて個展が決まったので、それに向けた制作を進めています。  相変わらずの制作の日々で、つい書き忘れてしまうこのブログですが、もう少しやっていこうと思います。作品を楽しんでくれる方に、こんな感じで作品が生まれていますという報告と、自分のやっていることをちょっと離れたところから整理してみるという理由(アトリエに一人だと、制作のリアクションをくれる相手が展覧会までずーーっといないのです)で、SNSも少しずつやっていこうかな、という気持ちです。  そんなわけでひとまずTwitterも始めました。ここを読んでいる数少ない方で、Twitterをやっている方は勝手にフォロー歓迎です。作品画像や、マニアックな舞台裏、日々のことなど気楽にアップしていく予定です。 https://twitter.com/SaitoYukiHone  さて、今年からずっとペンで絵を描いていました。雁皮にペン。少しずつ工夫しつつ継続中。 襖、蔓植物、雉、など。
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 銅版画も、その隙間にやってます。
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風に吹かれて

 浜乞食。  ほんの少し暖かい日が続いたせいか、浜辺には同じような事をしている人が大勢いました。
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   黙々と歩くだけでも相当満足度は高いのですが、気になるものが時々あってそれが拾えるというのもやはり大きな魅力です。アンテナ立てて瞬発力で拾う。クロッキーしている脳と似た処を使っていないかと思う。少し違う気もする。不思議な領域です。
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 今回はこんな感じ。小型の流木でいいのが多かった。人が加工したものがまた半分くらい自然に侵食されたようなものはそれだけで強い存在感があります。陶片。それぞれ角があったり丸かったり、元の模様が残っていながら消えかけているその状態が美しい。  何年にも渡り浜乞食活動を続けていますが、何に惹かれ、それが自分にとってどういう魅力として感じられているのかという事が以前より強く意識されてきているのを感じます。  
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トンビが風に吹かれていた。

酉年年賀の作り方

 柘植の木口を磨き、墨を塗る。
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 絵を考えて、ビュランで彫る。今回は燕と子安貝がモチーフです。
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 制作中に出た雁皮紙の端切れを大体の大きさにカット、馬連やスプーンなどを準備。
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 刷って刷って刷って・・・乾かす。銅版画と違い、刷るスピード自体は早く、刷る力加減によってだいぶ変化がつけられます。
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 雁皮紙の余白をカットし、台紙に張り込み、押印。雁皮紙はさまざまな色です。
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 あとは宛名を書いて、郵便屋さんにバトンタッチ。  お世話になっている方々への年に1度のささやかなご挨拶。お楽しみに。

夏の前日

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 ライラックが満開を過ぎるとアトリエの庭も立夏の足音。  梅雨に入る前から育てた方がいいらしいと聞き、今年は試しにネットを張ってゴーヤの苗を窓の前に植えてみました。真夏には涼しげなカーテンになるといいなあと思いつつ。実が収穫出来るともっと嬉しい。
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 久しぶりに締め切っていた部屋の雨戸を開けようとすると立て付けが悪いのかうまく開きません。おかしいなとがたがた動かすと何かの気配。よく見ると藁が少し落ちています。はっと理解した瞬間勢いよく鳥が一羽飛び立ちました。雀よりも少し大きな影。驚かせてしまったとなんとなく申し訳なく思いそっと雨戸を閉めました。次の日まで様子を見ましたが警戒させてしまったようで一向戻ってくる気配はなし。残念。  巣を掻き出すと青い卵。おそらくはムクドリに違いないでしょう。
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 思いがけない夏の前の出来事でした。    

仏三昧

 強風が少し緩んできたのを見計らい東京国立博物館、飛騨の円空。https://www.tnm.jp  彼の地元の人達は今だにエンクーさん、と親しみを込めて呼ぶと以前知り合いの作家が教えてくれました。庶民のすぐ側にいた人だったのでしょうか。  だから円空の仏像は博物館で陳列されて美術品としてスポットを浴びているところを観るよりも、歩いて参拝した寺や山路などでひょいと見かけて、あぁイイなあ…って感じ入るもののような気がしていますが、それでもやはり展覧会として十分人を魅了してしまいます。  今にも樹に戻っていきそうでもあり、今彫ったばかりのようでもあり。実は図版を持っているけれど、ほとんど見ません。でも本物は彫り跡や質感の細部が匂ってくるようで、思わず合掌しそうになります。円空は生に限るなあと思いました。
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 そしてもう一つの目的、と言うよりこっちが本命。知り合いに勧められていた法隆寺宝物館へ。奥まった桃源郷の雰囲気のところにあり、今まで知らなかった。  30〜40cmくらいの小さな観音菩薩像が一体ずつケースに入れられて整然と並んでいる部屋は圧巻!横や背後から見てもラインが美しい。  人もまばらで、ゆっくり見られます。垂涎しつつ、ここはたまに来ようと決めました。  宝物館の前の梅が満開で、沢山のメジロ。春が見え隠れ。
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花喰鳥

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 制作中に換気で窓を開けると、蝋梅の香り。  雪が降った日に落葉し、蕾が開いていく様子が毎日よく見れます。枯れた庭の他の植物はこの時期は専ら引き立て役に回ります。個人的に目にも鼻にも喜びを与えてくれる木で立春過ぎても寒い春までの楽しみのひとつ。いい名前を付けたもの。  ピーヨピーヨ!とホイッスルの様な大きな声がやけに近くで聞こえるなと思い窓の外を見るとヒヨドリ。赤い頬が分かり易く、こちらに気づいても窓を開けない限り逃げず蝋梅をついばむ。農家では害鳥らしいけれど、1羽くらいなら木も鳥も同時に見れるし、いいかなとそのまま愛でていました。そう言えばこんな吉祥文もあった。  ところで去年も同じように蝋梅は咲いたけれどヒヨドリは果たして来ていたのだろうか、気づかなかった。そして鳥に精通し、里山の林を作る活動をしつつ鳥の写真を撮っている知り合いが、ぱっと遠くの野鳥を肉眼で見つけ、ほらあそこ。と言ってくれたけれどなかなか分からなかった事を思い出しました。アンテナが立っていれば容易くチューニングが合うものが、そうでないと突然気づいて驚いたりします。メーテルリンクの青い鳥のようにこちらのスイッチが入った時初めて見えるものだらけなのかもしれません。
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  鳥、すぐに見つかりましたか?

鳥の下

 夕方外に出ると、たくさんの鳥が群れでぐるぐる辺りを旋回しています。羽音がばたばたばたと聞こえる近さ。  暫くぼうと眺めているとふたつの群れだったものが空でひとつに混じりあうようなかたちになりながら目の前の電線にとまりました。気付いたときには既に遅く。進行方向の電線はその鳥たちで所狭しと埋め尽くされてしまいました。 画像          動く気配はなくぼたぼたとアスファルトに汚物の雨が降っています。無言の圧力。夕焼けに鳥のシルエットだけが浮かび、なんとなくこちらを意識しているような不気味な静けさが漂います。知らずに向こうからきた自転車に大量に被弾。    自転車の悲鳴に慄きながら、ふとヒッチコックの映画が頭に浮かびました。人間が鳥に追い詰められるというのは荒唐無稽なようですが、ひょっとしたら監督もこのような目にあったのではないか。餌の牛脂にたかる可愛い鳥も死骸に群がるということで忌み嫌われた時代があったそう。  日ごろよく知っている感覚とちょっと違った生態を目の当たりにすると、そのギャップから不気味さが際立つという動物の代表が、近いようで遠い鳥というものなのかも知れない・・・などと考えていたら鳥たちは一斉にどこかに飛び立って行きました。