雪積

 自分が雪を滅多に見ることのない関東人であることを感じるのは、慣れない雪による困難に出会うことにも増して、風景ががらっと変化することの新鮮さです。
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 周りから雪についての交通網の麻痺への懸念や、事故などの不安についてのオトナの声を聞きながら、雪というものが降り積もることへの密かな興奮を隠すことが常です。  夜にしんしんと降り積もるその音の恍惚や、深夜少しずつ積み重なったものが、一気に視覚的な迫力をもって立ち現れる早朝の景色。肌を刺す様な緊張感と清潔感を伴った冷たい空気。こういうものを新鮮に感じられるのはたまにだからこそでしょう。でもこの歳になっても飽きずにこられたのは、あまり出かけずにいられる作家業だからとも言えます。  たまに出かけざるを得ないときは棘を付けます。これはこれで快適。サクサク歩く醍醐味は枯葉と甲乙付けがたい。
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冬歩き

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 朝、洋菓子の粉砂糖のような雪に轍が引く線を見て歩き始めます。  霜の降りた雑草。
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 こういう質と色合いの絵が描けたらいいなと思う風景に時々出会います。
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 庭に放っておいた空だったはずの植木鉢に野菊が日光浴。この花はどこから来たのか。
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 散歩の締めくくりの格好良い夕間暮れ。遠くに線路と電車の音。  こちらとあちらにこれくらいの距離が空いている風景はどことなく懐かしさを感じて落ち着きとざわつきが同時にやってくるような奇妙な目眩を覚えます。  いつでも大地に戻るという選択もまあ出来るんだ、などとと思いながら家路に就きました。

初雪後の運動

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 真白な半紙にチョンチョンと墨で描いたタッチの様な早朝の葱畑。雪がのしかかってひしゃげたネットと骨格の有様も見てるだけなら風情があります。  通行人の迷惑を一顧だにせずに雪景色を十分鑑賞したので、暖かくなってくるのを見計らって今日は昼過ぎからアトリエ前の既にアイスバーンと化しつつある雪を夕方近くまでさらいました。  鑑賞の日々の代償にカチカチになったそれは雪掻きシャベルではほとんど削れないので、まず普通の鉄のシャベルで砕き、その後雪掻きシャベルで掬って一箇所に放り投げていく。繰り返してるうちに温まった血が血管を伝って身体中を巡ってきます。雪の中Tシャツ2枚で気持ち良く汗をかきました。日常生活以上の運動もたまにはやった方がいいようです。  1時間過ぎると腕と手がだるくなってきたけれど、気分がのってきたのでシャベルを置かずに身体の他の部分に頼りながら続行。放る時は腰ではなく膝の反動。シャベルを押す手と蹴っていた足の裏が痺れてきたのをカバーするため、交互に使いながら身体を捻じって自重を利用。色んな方向から突き刺していきます。シャベルを入れる瞬間だけ力を込め、その後は体重を傾けると、力を抜いても勝手にズリズリ進む。進んだ先で止めずにそのままの力の流れで放る。シャベルに体重をかけるタイミングと割合がポイントのよう。なるべく疲れないように工夫したつもりの変な動きが止まらずくるくると踊るよう。
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 最後に庭の木々に積もっていた雪もばさばさと落とし、折れていた沈丁花の枝を剣山に刺して一息つきました。  亀形の剣山の中央に樹。昔の人が想像した宇宙みたい。    早春まで枯れなければ、淡紅色の花の香りがアトリエに季節を告げてくれるはずです。
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雪の中のアトリエ

 初雪。
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 出掛けなければいけない用には迫られていなかったので、おとなしくアトリエに引き籠もり制作横目に窓の外を眺めて過ごしました。どうしてもという時以外は予定を当日変えられるのは有難い境遇です。    個展中に、たまたまお客さんに教えて貰った世田谷ボロ市へ行きお気に入りに加わったものたちを並べてみました。
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 焼印、火鉢の灰掻き、蕎麦猪口。  来る日も来る日も押してきたぞと言わんばかりの欠けた焼印の迫力に一目惚れ。後日銅製は割りと珍しいと、焼印を収集している知り合いに教えてもらいました。銅特有の緑青が生えて綺麗。  灰掻きは様々な形状、色、質があり沢山欲しかったけれど1本に絞りました。刷毛の様な形。気に入るといくつもバリエーションが欲しくなる気持ちを抑えるのに一苦労。  明治時代のだという蕎麦猪口は気の抜けた焼成と雑な印刷。おそらく出来立てはなんてことない大量生産品、そこに古色が滲んでちょっと面白くなった、といった感じの化けた味わい、一応水は漏れないのでこれが唯一「使えるモノ」。    コーヒーの湯気が雪景色の映る窓をぼんやり曇らせます。  
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 骨董品が特に好きというわけではありませんが、時間をその内に取り込んだ表情は他に代え難い魅力を発することは間違いない。  幼少時代祖母と過ごす時間が長かったせいか、物心ついた頃にはその辺りのモノに惹かれ両親が捨てようとする箪笥などを死守してきた子供でしたが、これは三つ子の魂のよう。  時が経ち元の様子から距離ができたモノの魅力や、意味や用途が失われた断片が獲得した存在感を備えたモノ。言わば彼らは物言わぬ師匠です。  ああいうものの豊かさを新しく生み出すことの憧れが頭の片隅を埋めています。

雪解け

 雪解け水が落ちて跳ねる音で起床。  朝からぴちょんぴちょん。  今度の雪は一気にどさどさと降り、今日はうって変わって快晴。庭の小さな梅が蕾をつけました。
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 さて家の周りを掃いたりかいたりがどうにもあまり気が進みません。  雪かきしてすっきりする気持ちよりも眺めていたいそれが強いのです。  雪に限ったことではありません。  花びらが舞い散っていると気分が高揚しますし、落ち葉が道をこんもりと埋めると妙に落ち着きます。色どりもいい。  そしてなんと言っても冬のストリートの主役は雪。朝積もっているのを見た時のあの爽快感。  日常が劇的にお色直しをする様は下手なアートインスタレーションを鑑賞するよりよほど迫力を感じます。勿論見飽きる程雪と付き合っている地方の人は別。  だからどうするわけでもないのですが、せっかく散ったり積もったりしてるのに惜しいと思ってしまいます。それがいいのに。  落ち葉をゴミだと確信して疑わない人がいるのを知った時はなかなかの衝撃を受けました。  このあたりの話をして、ああ分かる分かる!っていう人はいるのか分かりませんが。  あまりやらないと近所に白い目で見られますし、家族にも頼まれるので我を貫きはせずにしばしば掃いたりしますが、雪はほら解けるしさ…という免罪符で逃げます。最後の抵抗。  住宅街で生きるという現実に直面する毎日です。

大倉尾根

 早朝から小田急線に揺られ渋沢へ。    大倉尾根を登って鍋割山へ。  登り始めは思ったより気温が高くシャツで出発。2月でも日差しを背に登るとあっという間に汗ばみます。  ふとすぐ横を見ると鹿の親子連れが音もなく少ない草を食んでいました。すぐ目の前にくるまで気付かなかった。
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 人間は踏みならされた道。鹿は木立の中。間近ですがはっきりと交わることの無い、見えない境界があるようでした。  馬の背という名前の細い尾根に雪。名の通りの道。思ったより人がいました。
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   ぐるりと登ってすぐ帰宅。気付くと次の朝でした。  

寒中腐食

 銅版の腐食作業は外です。  朝、すすぎ用のバットを見ると張っていた水がカチンコチンに凍っています。水道も凍っていてなかなか出ません。  大きい作品だとその分水を使う作業が長いので、手は「冷たい」というより「痛い」です。  真冬には避けたい作業ですが、大学生のころからのリズム(卒業制作など)の名残かいつもこの時期に大きい作品を作ってる気がします。  寒空の朝、外でバットに向かいなにやらちゃぷちゃぷやったり水をかけたり拭いたりしている光景は奇妙に見えるらしく、気付くとすぐ隣の大工さんが凝視していました。挨拶したら目をそらされてしまいました。  まあ明日も変わらず腐食です。  画像

ゆきこもごも

 毎日きっちりと寒いです。  今朝起きると庭の蝋梅に雪がかかっていました。
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 こういう和菓子あったような気がするなどと思っていると電車が止まっているとのこと。最寄駅はひとつしか線が無いのでそれが止まると、出かける用がある時は少し考えます。  バスで終点のやや遠い駅まで行くことに。乗る前から停留所は長蛇の列で車内はおしくらまんじゅう。それでも停留所ごとに数人は乗せながら目的地を目指します。はじめからいっぱいのようですが降りる人より乗る人の方が多い。  もう乗せるなと運転手へ叫ぶ人、顔色悪くなっている人、その人に席を譲る人、ぶつぶつ何かつぶやいている人、ずっとスマホいじっている人・・・。  ちょっとした非日常の満員バスの中は、ちょっとした非日常の影響を受けたいろんな人が集まっていました。何かで避難とかしたらこういう他人と一緒に暮らすのだな、とふと思いました。  普段の倍の時間をかけて、ややバス酔いしつつなんとか目的地には間に合いました。  雪の日の、のんきではない面も味わいました。

雪中考

画像    久しぶりの雪でした。乾燥した日が続いていたこともあって朝窓を開けて心躍りました。  北国の人にとっては雪は厄介なものでしかないかもしれませんがたまにしか見ない人間にとっては見慣れた景色が一変することはやはり新鮮。枯れた草木のシルエットを浮かび上がらせる舞台装置のよう。  画像  夕飯は穴子の天麩羅と鳥皮の八丁味噌煮込み、牛蒡の天麩羅おろし蕎麦で熱燗。  寒い雪を外に感じながら平らげる。どれも冬に合います。    雪さまさま。