水彩画の感覚

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 個展が終わった気持ちの隙間に異なる素材、異なるモチーフの絵を描いてます。  水彩は、銅版画やペンをずっとやっているとそれらとかなり違う感覚なので、新鮮に取り組めます。毎日の手軽な万年筆のドローイングに比べると、やや断続的になってしまいますが元々水彩には長く親しんできました。最近は発表する素材の種類が増えたので水彩は制作しても未発表ですが、この水彩という素材に向き合っている時の感覚は自分にとって大事なんだなぁとやるたびに感じます。やっている本人にしか感じれないのでそもそも説明は出来ないのですが、今その瞬間に生成されたような新鮮さ、重なって重みを増す部分、染み渡って重低音のように響いたり、消えていく儚さを感じたりが同時に起こっているような・・・。言葉では言い表しがたいそれらが一気に心に飛び込んでくるようなダイナミックさがあります。  それぞれの画材で線引きせずにこの感覚を保ったまま横断したいという気持ちがむくむく湧きます。翻って銅版画やペンやガラス絵の描写にまだまだ工夫の余地がたっぷりあるということに気づかされました。
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月まで散歩

 制作の合間に浦和へ散歩。  柳沢画廊では小高由里子さんの個展がやっていました。普段は油彩の作家の水彩だそうです。個人的には小さいサイズの作品の中に、水彩絵具が織り重なって出来る厚みと支持体の紙の風合いのバランスが心地よいものがありました。人の作品を油断して目にすると自分のアンテナがどこに反応するのかはっと気付かされたりします。思わぬ収穫。  にわか雨が止むまで柳沢さんとお話。何となくほっとする画廊なのは主の影響なのでしょう。    歩いて調神社へ。つきじんじゃとかつきのみやと呼ばれます。  世にも珍しい兎を祀っている神社で、入口に鳥居はなく、狛犬の代わりに狛兎が毅然とした表情で鎮座し、手水舎は何故か兎の涎です。木々の間を風が抜けて、思ったよりも気持ちいい。
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 大学受験の頃に通っていた美術研究所がすぐ近くにあるので、休憩時間によく弁当を買い神社の中で座って食べていました。巨木がちらほら生えていて、開けている公園と鬱蒼としている池や林があり気分転換するには悪くない場所なのです。親子連れ、野良猫、ホームレス、ギター弾きもいました。あれから10年経ってもさほど代わり映えしませんが、調べてみると創建は紀元前155年!信じられない。そんな歴史のある神社とは露知らず。  懐かしくてふらふら。  池には兎と亀がいました。
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残暑の蓮

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 日光の大谷川公園へ。広大に整備された芝の公園です。遠くまで続く丘にちょっとワイエスのテンペラを思い出しました。  女性のヌードをイメージさせるようななだらかな丘と白を撒き散らしたようなプカプカ浮雲。日差しは強烈ですが、なんとなく風は埼玉よりもちょっぴり涼しい気がします。
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 散歩した後、蓮を描きました。去年の夏辺りから気になって時折描きます。ひらひらと波打つ葉の縁のところを筆で追うのに夢中で1枚2枚描いたところで包み込むような形と生命の種を育むようなイメージを重ねてみたくなり、3枚目以降は絵の具を変えて、今度は丸まった葉も描く。  思想と自然、自分と他人のモノにまつわる意識無意識を絵の上でどう出会わせるかと思案しますが、それを絵の上で探りつつ目の前で発生していく高揚感は版下を準備する版画ではほとんどありません。ドローイングに顕著な面白み。  今まさにどこかから湧いて出たモノが上げる産声を聞けるのは作家の特権、などと言っても必死で描いているので出てきたことに気づくのは我に返ったときです。
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 今回は自分と蓮の境界が曖昧になっているときがあった気がします。作品と作者とモチーフの関わり合い、制作の傾きの揺らぎ。足に蝶が止まった事に気付きませんでした。  最後に宿近くの廃屋を押し潰していた藤を1枚描いて帰路。この1枚もいつかどこかに繋がるのかもしれないし、それに気づかずに過ぎ去るのかもしれません。  意識の意味付けから逃げ出したい気持ちが無意識の危うさを呼び込み、果てしなさ過ぎる無意識の寄る辺無さが意識に囚われる窮屈さを誘います。  
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 行き来しながら作品は真ん中を目指します。

スケッチ旅Ⅱ

 2日目は苗名滝へ。なえなというのは「地震」を「なゐ」と読んでいたことに由来するそうです。地震のように轟く水音。
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 暑い山道と岩を乗り越えて滝に近づくとひんやりした空気が身体を通り抜けます。初日と打って変わって涼しい。滝壺付近の岩に腰を下ろし滝を初めて描きました。なんとなく俗っぽくて敬遠していましたが、自分の足でたどり着いた涼しい場所に安堵したのと岩に隠れ下流からは死角になって人が全く来ない静寂が気に入ったため自然と紙を広げていました。  しばらく描いていて、こんな轟音の傍にいるのに静寂だと思っていたことに笑ってしまいました。滝の音は近づくとまったくうるさく感じないのですね。その風景の一部になっていくような心地よさ。昨日は炎天下の池で身体中熱され、今日は滝壺のミストで身体中冷えました。現地で絵を描くというのは環境の影響を全身でもろに受け止めるということですが、しんどさと引き換えに得るものは小さくはない気がします。    スケッチは普段の制作発表と並行してこういう機会に時々やりますが、おそらく発表はしません。単純に普段の制作と直結して見えないために、展覧会での発表は他の作品の不純物になりそうということもありますが、ではなぜ発表しないものを手間暇かけて描くのかという理由を一言で言えば「描きたくなるから」なのです。  普段は表現のためにテーマをある程度煮詰めて焦点を絞り発表しようとします。そうしてだんだんと追い込んでいった先に、不純に見えるものをあえて内に取り込んでしまう矛盾は、「自分」と「自分ではない」のバランスを取り、歪みを整えるためではないかと考えています。制作の歪みを制作で直す。真ん中にいようと志向する作り手の抵抗。  そこに自己満足以上の可能性も含んでいることに気付くこともあるので結局は描いて良かったと思うこともあるのです。感覚器官が洗われるような不思議な行為だなと思います。
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左3点睡蓮の池、右2点滝  お土産は自分で描いた絵とクスサンの繭の抜け殻3つ。それぞれに表情があって興味深いです。
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娘一人に婿八人

 タイトルは展覧会名です。  ドローイングを2点背負って3331へ搬入。
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 ここは廃校を改装していて、教室に色々なギャラリーや企画展が入っているという一風変わった建物です。何度か自分の展覧会でお世話になっています。  今回の企画もシークレットオークションというちょっと変わった形式です。最低落札価格から展覧会がスタートし、その作品が欲しいお客さんが値段を投票。最終日に最も高値を付けた人が落札者になるという。今日は搬入だったので今度は全作品並んだところが見たい。  最寄り駅は末広町徒歩1分、JRなら秋葉原から徒歩8分。今月28日~9月9日、12時~19時。長期ですが毎週火曜と8月13~16日はお休みです。Tel.03-6240-1608  そちらの方へお出かけの際はよろしくお願いします。  自分の娘に婿が八人も来ればいいけれど、運命の出会いはお客さん次第だから分かりません。  娘とはよく言ったもので、作品に作者が深く関われるのは生み育てる段階即ち発表迄で、その子がどんな子になるかは婿である他人が決めます。作者さえその作品を見る人の一人になっていき、それまでの体験は子から卒業して次の子を産むための糧として経験に変わり、1歩ずつ進むことが出来ます。  作品を生んだのは確かに作者のはずだけれど作者を育て、その思考に迫ってくるのは他ならぬ自分の子である作品です。そう考えると作者が先か作品が先か分からなくなりますね。ナニカが作品を作者に描かせているという方がしっくりくる時もあります。自分には子供がいませんが、親になった人はそんなことを感じることもあるのでしょうか。    ただ、思い通り育たない困った子も自分には出来すぎの子も手を離れる迄は完全に作者の責任なので自分任せの緊張感あり、誰にも介入されない独断の愉悦あり。これはものをつくり続ける人だけが感じることの出来る感覚でしょう。  この子を育てて良かったと思う瞬間は作品が勝手に動いて色んな人と自分を繋げてくれる時です。  予想もしなかった出会いが今までに沢山あったし、これからもあると親としては嬉しい限り。頼むぞ娘達。
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個展終了

 個展終了しました。  大事な時間と手間を割いて個展会場にお越しいただいた方にはまずお礼を言いたいです。ありがとうございました。会場で会えて嬉しかったです。  率直に感想を述べてくれた方、貴重な意見をありがとうございます。作品をお持ち帰りいただいた方、後悔させないような作家を目指します。毎回来ていただける方、元気が出ます。初めていらっしゃった方、はじめまして。気にはしていたけれど来られなかった方、またの機会に是非。案内状を見て行く気が失せた方、精進します。
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 写真は水彩とパステルで描いたもの。大きい作品だと小さい作品とはまったく見え方が違いますね。作者にとっても見る方にとってもですが。    さて作者本人としては、皆さんが会場へ足を運んだ甲斐があったのかどうかが終わった今となっては気になります。  その結果は次回以降の展覧会に表れてくるのでしょうね。厳しいけれど分かりやすいことでもあります。  人の言葉はすべてを鵜呑みには出来ませんが、その行動はかなりの割合で信じられると思います。その人が過去何をしてきて、現在何を優先して動くか、という行動の重要度に関することは、言葉よりも嘘をつき続けにくく、結局その人の人生の価値観そのものに輪郭を与えているように思います。  どんなに素晴らしいことを語る人でも行動を見てがっかりすることや、その逆があったりします。行動を目の当たりにして他人に興味を持つことが増えました。  自戒の意味も込めて、そのように捉えています。  作品を作り、さらによい展覧会を目指そうと思います。また会場でお会いできれば嬉しいです。  

だいくさんといっしょ

 アトリエの雨戸を開けて、朝日が射し込む時間になると大工さん達も作業を始めるところ。  隣に続いて向かいも工事が始まりました。家の断面図が剥き出しになるのを見ていると子供の遊ぶドールハウスのよう。だいたい同じ時刻にこちらも制作を始めます。  ガタガタと続いていた音やかけ声がぱたりと止まると昼休み。こちらも昼食。  1時間ほどのんびりしてお互い作業再開。  暗くなってきて、雨戸を閉めた後もしばらく外から音は聞こえてきます。    しんとなってもこちらはなかなかふんぎりがつかず、終われません。  真っ暗な外に出てさて帰ろうとすると、ライトの中まだ作業をしている人がいました。  お先です、と口には出しませんが勝手にそう思いながら帰ります。    最近の1日です。
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