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齋藤悠紀
制作とその周辺のこと。
HP http://yuki-pc.wix.com/honenomori
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材木流木考

2018/06/21 02:03
 浜辺へ。眼鏡をすり抜けて、眼球に滑り込んでくるような砂混じりの強風を、かき分けながら進むと流木の墓場のような開けた場所。誰もいない。ここは秘密の場所にしよう。
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 ところでこの砂浜、本当に流木しかないのかというほど他のものがない。そういう浜辺なのかそういう日なのか。それはそれで潔いけれど、少し不気味。
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 材木が漂流し、自然に侵食されているものに惹かれます。一方、漂流してきた流木に対して、燃やす、折る、磨く、などの他者が後から手を加えたものと浜辺で出会っても、自分の収集の対象には全くなりません。流木カービングまでいくと、それは作品として鑑賞出来るけれど、それとはまた別の話として。
 「自然と人間の関わりから生じた存在」という部分は共通点があるのだが、この違いは何なのだろう。
 前者は材木として成型された際に漂流することを想定していない分、当初の目的、ひいては人間の思考や思想からの自由さがある。無作為によって美に至っている。波と砂と太陽の偉大さを思い知らされます。後者はそもそものそういう大きな大きな自然に対して、ある作為を加えて、今の状態に貶めた、という不自由さに冷めてしまうのです。枠を不用意に狭めることのつまらなさ、と言い換えてもいいかもしれません。
 翻って、自然と人間の作為を人間の表現行為に当てはめて考えるとどうでしょうか。そりゃあ自然の方がいいだろうということはもう間違いないと思うわけなのですが、そもそも自然の中で出会ったものは表現なのでしょうか。これらは同じ土俵で語ることが出来ないような気がしています。自然の中で美を目の当たりにしたとしても、「自然の方がいいだろう、というそのこと自体の感じ方」を表現するということは常に残されています。自然は何も感じませんし、考えません。だからこそ恐ろしく、また美しいのですが。
 そんなに簡単に、自然がいいのだから何もしなくていいではないか、とはならないところに作家の仕事があると信じたいと思いつつ、流木で重たくなったカバンを背負って帰路に着きました。
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紬との再会

2018/06/18 00:24
 その時に取り組めるテーマと、それに合う素材との出会いには時間差があることもあります。
 テーマがあって素材を探し、制作に移る、というのはきっと誰もが想像し、納得する分かりやすい作家の制作活動の説明なのだと思うのですが、作る側の気持ち、少なくとも自分の場合は少し違います。ズレがあるというのもしばしば。
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 例えば、先日額装したペン画にコラージュしているのは、以前(6年前!と指摘していただきました)自分が気になって仕方なかったので、収集しておいた小千谷紬。その時に現在のテーマが明確にあって、それに使用しようと考えていたとはとても思えませんが、だからと言って全く無関係でもないようにも思います。要するに、考えて何とか説明出来る範囲を超えた部分が、その選択に関わっている気がします。
 テーマ自体の捉え方自体が、自分は、先に絵があって、その後それが何か把握して、徐々にまた先に進むというやり方なので、その辺は素材にも当てはまるのかもしれません。
 何故その素材が気になるのか。それが自分の制作にどのようにフィードバックされるのかが、入手した時点で曖昧なことが多い。この曖昧さは、混乱であると同時に可能性でもあります。耐えてじっくり取り組んでいくとある時に別々の路を通ってきたものが、合流出来る幸運に立ち会えるようです。
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べべ着せて

2018/06/15 13:41
 最近はペン画を中心に制作。このペン画は雁皮紙という繊維が短く細い、襖紙としてもしばしば使用される和紙に、ミツロウなどをほどこしたものを下地にしています。
 また、紬、という絹織物をコラージュして併用しています。それは手で撚りをかける為、複雑に絡まりあい独特な節の多い糸になるのが特徴の絹織物です。耐久性に優れ、古くから数代に渡って着継がれたそうです。
 それを中心に今までのガラス絵や銅版画にも一工夫加えながら展覧会を目指しています。それらの額装はいつも結構頭を悩ませる部分です。ごった煮のようなカオスなアトリエから逞しく育った作品達。いいべべを着せて、子ども達を檜舞台に立たせてあげたい、という親心のようなものでしょうか。
 壁に掛けながら日々眺め、時々もっとこうした方がいいと思いついたり、なかなか決まらなかったりと展覧会のぎりぎりまで粘ります。用紙をマットの額装という今までの銅版画のシンプルなスタイルだけではなく、パネル仕立てのペン画が多いので更に1点ごとに合う合わないにこだわってしまいます。
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 見た目に大きく影響を及ぼし、作品の一部になってしまうと言っても過言ではないので、やはりそこもおざなりには出来ません。でもこういうところも含めて展覧会をお客さんと楽しめるというのも作家の面白いところです。(ほとんどほんの少しの工夫には気づかれませんが・・・。)

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福福堂15周年

2018/06/12 01:56
 大学院を出て、コンクールなどに出品しつつ個展をやっていた時に、たまたま新聞で見かけて応募した浦和伊勢丹の展覧会。そこから8年来のお付き合い。ギャラリー上原(福福堂)の岡村さんは、そのお人柄から、作家やコレクターにこよなく愛されています。このたび15周年ということで、作家主催の祝賀会。基本的には引きこもって作品を作るのが得意な作家連中が、40人以上も出てきて岡村さんを囲んだことが何よりの愛の証。地方から駆けつけた方々の顔ぶれも。
 学生の頃は、「場所を貸すのでご自由に」という雰囲気のギャラリーとの付き合いが多かったせいで、そういうものだと思っていましたが、福福堂と関わってからイメージが一新しました。具体的には、作家と画廊が協力して展覧会を企画し、作品をお客さんに届ける。そして画廊は作家の才能(一言で言うなら結局こういう言葉になってしまいますが・・・。それは割と総合的な力かも)を見出し、現場で育てていく、というイメージです。それを知ってからは、作家として場所を借りて絵を飾る、という一方通行的な展覧会は1度もしていません。先にお金を払うのが嫌なのではなく、そういう風な気持ちの変化からです。
 実際に作品を、日常的に生み出していく作家がいなければ、そもそも展覧会は成立しません。これは確かな事実で、良い作品ありきです。
 しかし次にそれを社会に出して、趣味の発表会ではない、プロとしての展覧会を開催するには、見に来てもらう全くの他者の目が必須なのも大切な点です。そしてそういう部分の関わりは作家には不慣れなことが多いのもまた事実。私は何時間も誰も来ない画廊からの帰路、あまりの虚しさに、涙が落ちたことがあります。そういう関わりの失敗によって、世に作品が出ないこともかなり多いのではないかと思います。それを先回りしたり、注意深く見守りながら、展覧会を成功するように導いてもらう。
 二人三脚と言うのはちょっと憚られます。実際はこちらがいつも助けていただいています。毎回の展覧会で、徐々に手応えを感じられるようになってきたのはお客さんと、この福福堂岡村さんのお陰です。改めて感謝。

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蔓の歩み

2018/06/09 00:50
 今年もゴーヤと瓢箪を植えました。
 蔓植物はモチーフとしても惹かれるものがあり、時折作品に登場します。その場所で自らの蔓を振り回して、触ったものを手繰るように成長していき、その道中の様々な枝分かれの中で、葉を茂らせ花を咲かせ実をつける。 
 立派な大木が近寄りがたいほどの神々しさを持ち、人間離れした存在を感じさせる為に、信仰の対象となったりするのと比較すると、蔓植物はなんとなく頼りなげ。一方凄いスピードで伸びていく姿を毎日見ていると、最低限の細さの茎で、シンプルに、都合のいい場所を確保するという戦略が見えてきます。いつまでも細いままだからこそ、逆説的に強風を受け流すしぶとさもある。自らの力だけではなく、環境を利用し、したたかに生き延びていくところは、まるで人間。いや、それよりずっと賢く、迷いがないかもしれない。そして、いつの間にかこんもり茂り、見上げるような大木と同じような高さに成長してしまいます。
 大木の、ゆっくり時間をかけた「確かな成長」とは印象が異なる蔓植物のそれを、「前進」と言い換えてみるならば、彼らはまるで上へ向かって歩いているようですね。止まることのない歩み。そのスピードは、目に見える生命力そのもの。唐草模様が歴史を超えて愛されてきた所以ではないかと思います。
 去年はガラス絵で随分ゴーヤを描きました。朝顔も。今年は瓢箪も描けるか。
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 明け方、早速瓢箪の花。
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四角い竹籠

2018/06/06 00:45
 骨董が好き、というわけではないのですが、古いものの中に強く惹かれるものが時折あります。そういうものをぶらぶら見るだけでもそれなりに楽しめるので時々骨董市へ。今回は町田天満宮がらくた骨董市。実はこの骨董市は毎月1日にやっていて、たまたま先々月に行ってみたらいい籠が安く手にはいったのでその追加が主目的。
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 この写真のお兄さんの、奥の籠。要は業者さんの運搬用の籠。誰も見向きもしないけど、これがいい。
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こういう風に額やパネルを整頓出来るのです。丸い籠だとこうはいかないです。隙間出来ちゃいますし。軽いし、柔軟性が高く、丈夫。そして見た目も良い。つい4つも入手してしまいました。
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個展に向けて銅版画も。蜘蛛の巣が破れ障子に・・・。
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描くことの名

2018/06/03 14:07
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 雉をいただいたので描く。
 まず単純に描くのが好きなので、自分だけのメモ代わりに絵を描いておこう、という楽しみがあります。そういう場合は「スケッチ」という言葉がなんとなく浮かびます。最も軽い気持ちで取り掛かる故に、枠をはずすようなある種の自由度があり、普段の作品では気がつかないものに出会ったりと、発表する制作の補完としての大切な場所を占めます。「デッサン」や「クロッキー」なんかもこの中に入ると思います。
 次に、こういう偶然の出会いの中でも、その時の自分の感覚にぴったりくる場合は、その感覚を確認します。手を動かしているうちに働いてくる部分があるのですが、そういう時は単なる楽しみやメモの「スケッチ」からもっとこれはなんなのか、をはっきりさせようとする「ドローイング」という心持ちになります。必要部分の意識的なメモです。それを絵に描くことでどういう風になるかの逆算が、自分の場合はこの辺りから徐々に出来るようになります。
 その中から更に踏み込んで何かを表現したい、という気持ちが高まった時に「エスキース」という段階に移行します。「作品」をつくるため、という確固たる目的がある状態の最終確認です。整理して、取捨選択する段階。ここが結構難しく、ここまできてボツになるものも沢山あります。でもこれをやっておかないと作品を支える土台が弱く、途中で挫折してしまう可能性が高まります。理想は、「エスキース」を終えた時に、頭はすっきりと冷静だけれど、制作に取り掛かる心は、待ちきれないほどにわくわくしていことです。
 描く絵は色々段階があります。入れ替わったり、順序もばらばらだったり飛ばしたりとケースバイケースなので曖昧ですが、飽くまでも自分の場合の区切りです。まだまだそれぞれの段階に創意工夫の余地があります。
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SNSのメモ

2018/05/31 01:11
 再来月に銀座三越にて個展が決まったので、それに向けた制作を進めています。
 相変わらずの制作の日々で、つい書き忘れてしまうこのブログですが、もう少しやっていこうと思います。作品を楽しんでくれる方に、こんな感じで作品が生まれていますという報告と、自分のやっていることをちょっと離れたところから整理してみるという理由(アトリエに一人だと、制作のリアクションをくれる相手が展覧会までずーーっといないのです)で、SNSも少しずつやっていこうかな、という気持ちです。
 そんなわけでひとまずTwitterも始めました。ここを読んでいる数少ない方で、Twitterをやっている方は勝手にフォロー歓迎です。作品画像や、マニアックな舞台裏、日々のことなど気楽にアップしていく予定です。
https://twitter.com/SaitoYukiHone

 さて、今年からずっとペンで絵を描いていました。雁皮にペン。少しずつ工夫しつつ継続中。
襖、蔓植物、雉、など。
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 銅版画も、その隙間にやってます。
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分かることと、初夏の展覧会

2018/04/30 00:55
 「きっかけ」はくる時は一気にくるということがまぁまぁあるように感じます。特に今年に入ってから、制作したいと思うテーマがなんとなくまとまって出てきたのと、新たな素材表現との出会いのタイミングが重なって訪れ、自分としてはアトリエに籠っているのが楽しいやら忙しいやらで、すっかりここに文字で残しておくのを後回しにしてしまいました。展覧会がなかったという現実も手伝っていますが。
 この辺りの事は自分にとっては微妙なところで、早く文字にした方がいい時とそうではない混沌とした状態の中、掬い取る感じで徐々に作っていきつつ、振り返ってから整理した方がいい時があるように思います。
 ただ、テーマにせよ素材にせよ、全然知らなかったわけではない「顔」なのも興味深いところです。繰り返しているわけではないけれど、懐かしい、そんな「顔」。
 イメージは時空をやすやすと超えてゆく。1点の作品、あるいはその時点で取り組んでいた制作を前にした時に「考える事思う事」は、その瞬間と10年後とは異なっています。作品や制作はそこにあったはずだから、それはそれを受け取る側の心の多層性を表しているのに違いないわけですが、そういう体験は作家にも見る人にも同じように訪れます。なので、作った時には何故これを作ったのか分かっているようで分かっていない、あるいは分かってはいなかったな、と後で分かることもしばしばで、それは後でより深くその作品を捉えられるようになったという意味では作家として(単に人間として?)の成長なのかもしれないけれど、それに先んじて作品がそこに存在していた、という場合、まるでその時には自分ではなく何か別のモノが描かせたかのような不思議な思いが浮かぶのです。
 一言で言うならば、自分がいつか作ったあれ・・・それは今こうだった。という感覚です。その瞬間頭が凄くすっきりして視界が開けたような心地になります。ずっと制作してきて良かったと思うのはこういう事を肌で感じられる瞬間でもあります。
 さて、展覧会のお知らせです。
 5月はふたつ。全て旧作ですが、いろんな時期に作ったものを年代を超えて並べてみようと思います。見損ねた作品がある方は是非この機会にいらしてください。
 
「ザ・美術骨董ショー2018」東京プリンスホテル
5月1日(火)〜5日(土)午前10時から、初日は 午後6時まで。最終日は午後5時まで。それ以外は午後7時まで。
 スタッフ兼作家として出品しています。


「骨のあるアート」伊勢丹新宿本館5階=アートギャラリー
5月9日(水)〜13日(日)午前10時半〜午後8時。最終日は午後6時まで。
 骨を中心とした作品を出品予定です。
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 どちらも毎日会場にいます。
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小村雪岱展

2018/02/27 00:44
 川越を歩き小村雪岱展へ。彼が生まれた町とどれくらい変わったのだろう。
 作品の色彩や人物の表情に派手さはなく、むしろ地味と言ってもいいものなのに、一度見ただけでなぜか記憶に残る絵で、もう一枚見たいと思うような作家だと思います。削ぎ落としている描写とよく練られたであろう構図。なかんずくその「間」はズレのようなものを意識的に取り入れていて、アレ?と感じまんまと足を止めてしまいます。この辺り、画壇で伝統的な日本画として発表していた当時の作家とは違い、新聞の挿絵や本の装丁で仕事をしていたことが関係しているのかも。さあ絵を見るぞ、という気持ちで絵の前に立ってもらう環境ではない、不特定多数の生活している他人の目を数秒留める為の工夫は、並大抵のものではないはずです。声高に言えば疎まれ、声が小さいと聞こえません。語り過ぎれば混乱させ、口数が足りないと理解できません。そしてその失敗は、作家の責任として生き残りに直結してしまいます。
 そういう現実に迫られて、試行錯誤を繰り返した末の、個人の一手一手の仕事が輝くという凄さ。その我慢強さと柔軟な表現は、個人と社会との摩擦の中でより一層生き生きとしていたのではないか、と思わせるたくましさがあります。
 逆に仕事を依頼する側の心理としては、この作家のそういう「感覚」にこそお金を払いたい、ではないでしょうか。まさに代えのきかないニーズなんだろうなと感じさせてもらった帰路でした。

https://www.city.kawagoe.saitama.jp/artmuseum/tokubetutenji/toku-index.html

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風に吹かれて

2018/02/12 23:41
 浜乞食。
 ほんの少し暖かい日が続いたせいか、浜辺には同じような事をしている人が大勢いました。
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 黙々と歩くだけでも相当満足度は高いのですが、気になるものが時々あってそれが拾えるというのもやはり大きな魅力です。アンテナ立てて瞬発力で拾う。クロッキーしている脳と似た処を使っていないかと思う。少し違う気もする。不思議な領域です。
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 今回はこんな感じ。小型の流木でいいのが多かった。人が加工したものがまた半分くらい自然に侵食されたようなものはそれだけで強い存在感があります。陶片。それぞれ角があったり丸かったり、元の模様が残っていながら消えかけているその状態が美しい。
 何年にも渡り浜乞食活動を続けていますが、何に惹かれ、それが自分にとってどういう魅力として感じられているのかという事が以前より強く意識されてきているのを感じます。
 
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トンビが風に吹かれていた。
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雪積

2018/01/31 01:58
 自分が雪を滅多に見ることのない関東人であることを感じるのは、慣れない雪による困難に出会うことにも増して、風景ががらっと変化することの新鮮さです。
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 周りから雪についての交通網の麻痺への懸念や、事故などの不安についてのオトナの声を聞きながら、雪というものが降り積もることへの密かな興奮を隠すことが常です。
 夜にしんしんと降り積もるその音の恍惚や、深夜少しずつ積み重なったものが、一気に視覚的な迫力をもって立ち現れる早朝の景色。肌を刺す様な緊張感と清潔感を伴った冷たい空気。こういうものを新鮮に感じられるのはたまにだからこそでしょう。でもこの歳になっても飽きずにこられたのは、あまり出かけずにいられる作家業だからとも言えます。
 たまに出かけざるを得ないときは棘を付けます。これはこれで快適。サクサク歩く醍醐味は枯葉と甲乙付けがたい。
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アヌビスエコバッグ

2018/01/19 00:29
 埼玉新聞社との作家コラボ記事企画で、マイエコバッグを描きました。先日その撮影に埼玉新聞社へ。
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 エコバッグ自体の話と、制作や発表の話。
 今年は年賀状に引き続きアヌビス神がテーマ。キリスト教以前のその土地の神話や、昔話などとそれを生んだ人間の想像力のようなもの(あるいは心理的解釈)を含んだ現実世界の把握、の構造が以前よりも自分に親しみやすく、それゆえカタチにしやすくなりました。何故かはわかりませんが。
 ところで記者さんと話をしていると、作品について語る言葉をかなり具体化するとともに、短いセンテンスで伝える必要性に迫られることが多いと感じます。それは先方の職業柄当然と言えば当然であり、それを何気なく享受している大勢の読者が背景にいます。自分も読者になれば、分かりやすく整理され、要点が手短になっているものを知らず知らずに求めているということでもあります。
 混沌の中から切り捨てて整理することは、表現をより確かなものにする段階として必要な通過点だと思います。それは個人で部屋に篭って制作に没頭していては、捗らない作業でもあるのが厄介です。そうすると結局は整理してスタイリッシュになったものを出すのではなく、そういう場に無理やり立たされてさあ語れ、と迫られることの繰り返しです。恥もかきますが、話していると、自分の制作中には気がつかなかった側面が照らされ出したりします。そういう意味でこのように意識化していく機会があることは苦しいけれどかけがえのない部分だなぁと思っている間に取材が終わっていました。
 さてどう記事になるのか・・・。あとは記者さんにお任せ。展覧会が近くなったらエコバッグプレゼントの記事を報告します。
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アヌビス年賀

2018/01/07 23:54
 年末は毎年恒例の木口木版の年賀状を作っていました。戌年にちなんでエジプト神話のアヌビス神をテーマに。魂が迷わないように道案内をする神様です。
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 ビュランを研いで、木口面を磨いて、シャープに彫っていきます。馬連で薄い雁皮紙に擦り、台紙に張り込んで完成。文字にするとなんともシンプルな技法。しかしシンプルな技法ほど、ひとつずつの工程にそれぞれ気を遣う点が多くあるように感じます。自分にとっては年に1度の極小画面と言えども、10回目ともなると独自の工夫が積み重なってきました。手探りでもやり始めると、それまでの自分の中の「小さな常識」を広げることが出来ます。でも擦りはまだまだ。
 木版画は版画の技法の中でも特に、「擦りの力加減」による出来に幅が出ます。馬連を通じて手に伝わる微妙な力の塩梅が肝。それは熟練を要するということでもあるし、裏を返せば擦りによって相当絵を工夫する余地があるということです。これは銅版画にはほぼない木版画の特性と言えるでしょう。
 版画の特性に限った話ではなく、作家にとって新たな魅力ある素材との出会いと、その使用した際のギャップ、またそれを埋めていく為にあれこれ工夫を凝らし、時間をかけて自分なりに身体にそれを慣らしていくような時に、いつも「十牛図」における牛との綱引きの図を思い浮かべます。そう言えば初めて10年前に木口木版画を擦ったテーマも十牛図でした。
 銅版画の他に、技法を広げ本格的に発表し始めたのが去年。今年は更に深化したものをご高覧いただけたらと思います。しばらくは制作中心でアトリエ籠りです。
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広島MVW

2017/12/21 23:02
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 初のカプセルホテルに8連泊。不安でしたが、ここの倍近くするビジネスホテルなどより断然清潔感あって快適でした。広島MVW展終了して埼玉に戻ってきました。
 来場者の投票結果。個人戦では2位!(珍事!)でしたが、団体戦では紅組勝利だったので、夏の広島に再訪するのは女性作家達に決まりました。毎年の恒例になってきたようで広島の方々来場者の方々にもお馴染みのお顔もちらほら。ありがたいことです。
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 参加作家側は、初めて百貨店で展覧会をする作家や、現役の美大生などなど年齢も出自も扱う素材も異なる作家同士ですが、展覧会をしていると作品を挟んであれこれ話します。同じもの作りでも、どこに立って何を目指しているのかというのは分からないもので、それがとても興味深いです。会場外での顔もまたそれぞれ、色々考えて背負って結局独りで作品を作って飾っているという現実が妙に温かく感じます。ひとりでの不安を少しでも癒すものがあるとすればそれはむしろそういう厳しい現実なのではないかと思います。あと、美味しいコーヒーも!
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師走

2017/12/10 00:39
 伊勢丹浦和プチギャラリーにて開催しました個展「光の糸」終了しました。案内状を見て初日から駆けつけてくださった方や、会期中も多くの方々が来場してくださり、自分としては新しい素材への試みであるガラス絵を受け入れていただいていることを実感出来、自信がついた1週間でした。年末もテーマ、素材の扱い共々、益々のクオリティを追求していきたいと思いました。
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 年末までまだまだ展覧会は続きます。師と呼ばれる身ではない自分も走り回っている感覚です。
 リトルクリスマス版画展は今まさに全国で真っ盛り。手持ちのエディションが既にない作家も続出の今回。まだこれからの展覧会では入手出来るチャンスもありますので、お問い合わせください。会期、会場、作品のチェックは以下から。
http://www.little-christmas.com

 そして恒例の広島福屋でのMVWは去年に引き続き2度目の参加です。新作ガラス絵を携えて行ってきます。
 この展覧会の一番の特徴は、来場者の方による「良かった」「もう一度見たい」という作家への投票です。そして実際に投票が多かった側(Men or Women)が、勝ち組展を来夏に同じ会場で開催します。
 投票、というのは美術においてはあまり聞きなれないかもしれません。そぐわないという意見もあるでしょう。しかし、全く個人的な判断で「自分のお気に入り」を選ぶという機会が、実際の展覧会場にあるというのは意味があることだと私は考えています。満遍なく絵を眺めていた時よりも、その作品について一歩踏み込んで楽しむきっかけになるからです。その作家を推す理由が自分の中に見つけられるというのは、次に他の作品や作家に触れる際の尺度になるかもしれません。
 敷居が高く思われがちな美術も、「なぜかこの1枚に惹かれる」感覚というのは誰しもあることと思います。そしてそれは美術との関わり方の源泉ではないでしょうか。
 今年は今までの作家をまとめたHPもありますので、是非ご覧ください。
https://mvwtenji.wixsite.com/mvw-hp
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「光の糸」

2017/11/25 01:22
 普段はじっとしているけれど、網に獲物が触れた途端に素早く捕獲する姿は、さながら優秀な番人のような蜘蛛。ネイティブアメリカンは、寝室に蜘蛛の網状の「ドリームキャッチャー」と呼ばれるものを吊り下げ、悪夢を引っ掛けてもらうそうです。悪夢と共に大事な報せが外からやってくるから、フィルターが必要という風習は興味深いですね。
 11月29日(水)〜12月5日(火)、伊勢丹浦和プチギャラリーにて個展をします。蜘蛛の糸、網をテーマにした新作のガラス絵を中心に銅版画、コラージュなど40点ほど飾ります。

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秋の関西巡り

2017/11/10 23:44
 嵐の中の展覧会、青梅の繭蔵「underwater」台風の合間を駆けつけてくださったみなさま、ありがとうございました。その搬出を終えた足で夜行バスに飛び乗り、関西へ旅立っていました。恒例の阪神梅田本店での「薫風展」も今年で3年目。来年が戌年なので色紙に犬関連の絵を描いて作品のお供にしました。
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 去年よりもお客さんが多く、あっという間に1週間終了。会期中泊めてくれた旧知の夫婦に感謝。食事や会話でほっとする場所があるのはいいですね。
 その後リトルクリスマス版画展を開催してもらっている大阪ギャルリプチボアへ立ち寄りました。立体作家やリトルクリスマス版画展には出品していない作家も含めた展覧会で、画廊による独自性がこの企画の面白いところでもあるなぁと改めて実感。ちなみにここの展覧会に触発されて企画したのが「underwater」でした。
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 齋藤のガラス絵と銅版画も持参し、飾らせてもらいました。ふらっと行ってもとても丁寧に接していただける画廊で、居心地が良くつい長居してしまいます。 
 空いた時間で京都の石塀小路や、奈良の薬師寺に立ち寄ってから夜行バス。いい関西巡りでした。
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Impresso

2017/10/21 02:30
 陶芸作家と一緒に展覧会をすることが決まってからお互いの技法を教え合って実際にやってみようという話になり、齋藤はありさんに陶芸の技法を教えてもらいました。
 陶土が半乾きになった頃を見計らって針で引っ掻いて線描します。直接溝を実際にその瞬間に作るというのはタブローにも版画にもない感覚です。そこに釉薬を詰めて凸部のみを洗い出すと溝に釉薬が残ります。まるでずっと慣れ親しんだ銅版画のような技法ですね。
 
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 初の陶芸作品は「Impresso」というシリーズ名で今開催中の青梅の繭蔵、underwaterにて飾っています。
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立体とリトルクリスマス

2017/10/20 01:31
 朝から車にいっぱいの荷物。青梅の「繭蔵」に作品搬入してきました。
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 リトルクリスマスと共に、開催する「underwater」。
 出品作家と繭蔵の庭崎さんとであれこれ相談しつつ飾ってきました。全国のリトルクリスマスの会場の中でも最も広い空間を贅沢に使わせてもらっています。
 立体作品の作家と飾ると空間の印象ががらっと変わるので面白い。リトルクリスマスも各会場で個性がどんどん出てきました。
 underwaterはもちろんのこと、ここでしか味わえないリトルクリスマス版画展もお見逃しなく。
10/20(金)〜/29(日)11時〜17時

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