非常勤講師を辞めることについて

 
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中学校の美術の授業で自画像を描きました。  当時気になっていたことをテーマにして顔を工夫して描いたところ先生が褒めてくれたのを覚えています。褒められたことよりも、静物画でも風景画でもない、目に見えないけれど感じている個人的なモヤモヤを絵で吐き出すことが出来たというすっきりした気持ち、自分が描くまでは影も形もなかったそれが、意味の伝達や説明ではなくカタチを変えて他人の中に「響く」ことの豊かさ。この絵というものの表現の成り立ちの奥深さに興味を持ったのです。そしてこれが自分にとって初めての「絵」と「作品」は違うという気づきでした。  高校で恩師と友人に恵まれ毎日制作、作品について語り合う日々を過ごしました。自主自立を掲げる校風の中で制作を通し考えが深まりました。気づきに共有と方向性が加わり美大を目指しました。  浪人しながらも絵で表現する技術を磨き進学、版画を専攻し大学院に進んだころに自分なりの技術が身についてきました。  そのまま作家になればシンプルな人生ですがそうはならず、非常勤講師として母校に。今まで向かっていた黒板を背にし先生と呼ばれる日々。9年間が矢のように過ぎました。経験が異なる10代の人を相手に、作品を言葉や文字で語るという視点を持ちました。  その間、自分のことを誰も知らない海外の公募展を中心にいくつかの賞をいただいたことは、学歴や有名無名に関係なく作品そのものの力で見知らぬ他人の心を打つことが出来るんだという自信になりました。  徐々に自分にとって制作以外のこと、発表活動をしていくということの意識が強くなり、同時に発表に関わる様々な方々を知っていく中でそれが現実的になってきた結果、今年非常勤講師を辞めることにしました。  講師はありがたいことに職場の人間関係が良く、自分の人生を豊かにするような経験も多かった。いただいたお給料以下の仕事しか自分は出来ていないのにやらせてもらっていたと今でも思っているくらいなので、辞めることには長い間葛藤がありました。  一方作家は自分が作ったものがそのまま人生の道。新作がまだ見ぬ他人に毎回どう受け止められるか分からない仕事です。安定した生活があればこそ制作も続けてこられたではないか。そう納得しかけていた時、冒頭の中学生の頃の絵が箪笥の奥から出てきました。さらに高校時代の作品も久しぶりに眺めると当時考えていたことを次々思い出しました。それで、という安直な情熱で決められるほどの度胸はありませんが、ただ作品ははっきりとその時の時間を含んでいるのだということを実感しました。そしてあの頃の自分は今の自分の作品や活動をどう思うかな、という気持ちが自然と湧き、非常勤講師をやりつつ作家活動を続けた9年間で少しづつ増えながら活動を応援してくれたお客さんやギャラリーの方、メディアの方の顔が浮かんできました。  「決める」ことが作家の一歩なのだということを今になってやっと知ったようにも思います。

巡る

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 朝、同じ散歩道を週に2~3度歩くようになってから5年経ちました。ただ気分が良いので歩き始めただけだったのですが春夏秋冬歩くと感度の鈍い自分でも季節を感じるようになってきました。  ハナミズキ、栗や柿、ブナ、コナラ。麦畑菜の花畑茶畑に葡萄や瓢箪の蔦が絡む、蜘蛛、蓑虫。白菜や大根畑の周りは菊が咲く。銀杏と松の大木の下は毎年どっさり落ち葉。水仙、芍薬、牡丹、百合が足元を賑やかにする。立派な竹林がしんとした道に響かす音色は飽きがこない。殺風景な真冬には南天の赤が映えます。  田舎道、しかも同じ道というのがじんわりと毎年少しづつ季節を自分の中に染み込ませてくるようでそういうものに対して心が開かれ「個」、というものを少し薄れさせる気がします。そういう感覚をカタチに出来ないかと思い銅版画にし始めました。巡る季節のように着実に進めたいものですが「我」が入ってくるのでそう達観出来ません・・・。

米花

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 食欲を刺激させずにはおかない迫力。  米粉と自家製天然酵母の手作りパンを買いに名古屋までの旅。もっちりした食感が珍しくつい食べ過ぎました。  高校時代からの付き合いで互いの大学院を出てから3年間共同アトリエで一緒に制作をしていた友人が先月名古屋でパン屋&カフェのマスターになりました。彼をよく知る高校時代の友人達と連れ立ってお店に到着。  
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 5人入ったら満席の温かい印象のお店。その名も米花(コメハナ)http://komehana.michikusa.jp  化学調味料や保存料などを使わずに、パンだけでなくスープやサンドイッチソースも手作りという安心、こだわりのお店。店内で注文してから作ってもらったサンドイッチセットはメインは勿論スープやサラダも優しい味で満足。  何よりマスターの顔が活き活きしていて元気になります。暫くぶりでしたがすっかり安心しました。一月でマスターが板に付いるのは流石昔から器用だっただけのことはあります。
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 手際よく料理し、落ち着いて佇む彼を眺めながら、10代の半ばから知っている友人達や自分の生き方を思いました。こちらの予想外だったりぴったりだなあと思ったり、以前から知っている人々が今はこういう風に社会と関わっているのだ、というのは少し違和感がありながらいつも妙な気持ちになります。  ある瞬間がどんなに素晴らしくてもそのまま同じままではいられません。このまま変わらないぞと自分一人で頑固になってみても、周りが変わっていくとその関わり自体が変形してしまうからです。浦島太郎はおじいさんになった時一番深く思ったことは「すべて変わってしまったなあ・・・」ではないでしょうか。  怒涛の環境変化の中ではじめ想像していた守れることの数は泣いても笑っても確実に減っていきますが、それでも自身にとって大事なものを失わないようにするには、自分がいつも変わっていかないとならないのだと思います。全く新しく組立て直す関わりを恐れないことが、自分がそのままでいられる可能性とその方法を教えてくれます。  これにしようと考えて行く道を決めるというよりもずっと早く現実は押し寄せます。それに腹が立ったり悲しんだり驚いたりどうしようもなく翻弄されたりしているのを考えると抵抗と期待のバランスはとれているとはとても言い難い状況です。変わるというのはそもそもあまり心地よくはなく、むしろそれまでの自分を殺して生まれ変わるような激しい闘いを伴うこともあります。  自分の生き方、他人との社会的な関わり方というものを選択しているという感覚もほとんどなく、大きな力のようなものに動かされ、まるで初めからそう決まっていたかのように役が割り振られているような気さえします。岐路と行動。それに無我夢中で関わっているうちに気づくと新しい場所にいます。  彼がたどり着いた新しい場所が良いものを生み出し続ける中心でありますように。    名古屋に行く時はおすすめです。是非行ってみてください。

つながりのかたち

 「人の心など分かるはずがない。」  心理学や精神分析を研究し、実際に多くの患者とも接してきたのだから人の心が手に取るように分かるのではないですか。と質問されたある心理療法家が答えた言葉です。彼の言葉は、長いあいだの研究と現場で心を病んだ人達と接してきた経験から導き出されたあっけにとられるほどあっさりとした素直な感覚と、その背後に潜む深い洞察に裏打ちされているものに違いないと感じました。人の心など分かるはずがないということを誰よりも心の底からよく分かっているのが心理療法家というものなのか、と妙に納得させられた記憶があります。    15歳の頃、人は人自分は自分で、人の心はまったくどうすることもできないものだと知りました。物心がついたのが随分遅かったというわけですが、誰もが思春期に通過するであろう途方もない孤独感に愕然としてそれなりにショックも大きく、しばらく特定の人としか口をきけないほどでした。後遺症が変容しむしろ人一倍おしゃべりになりましたが。  そのもやもやした思いを表現出来るという可能性を美術に感じていたので、ひとまず「境界」を大きなテーマに据えて絵を描き始めました。あっという間の高校生活3年間。当然やり足りない、もう少ししたらもっとうまく表現出来るはずと思っているうちに気づけば2012年夏。  ともあれ言葉や文章にならない抽象的な思いが形として目の前に出現するというのは哲学や宗教とは違った種類の救いがあるようには思っていました。救済は作者にとってほんの一瞬ですが・・・。      そして当時の人生の倍近くの年月が過ぎ、作品をより多くの衆目に晒し、画廊さんやコレクターさんと関わっているうちに分かったことは、「つながり」というもののかたちは当時考えていたものだけではないということです。  それは自分の作品がそこにあったからこそつながった人達のことです。逆に作品がなければおそらく交わる可能性の極めて低い人達だったと思うのです。  住む場所や、年齢性別、趣味嗜好の違い。極端に言えばその人のことが好きだとか嫌いだとかすら作品が間に入れば関係なくぴょんと飛び越えられるのです。上辺の好き嫌いの彼岸に人間関係があるなどというのは10代の自分は想像すら出来ませんでした。付き合っていく中でより深い意味での好き嫌いはまた出てくるわけですが、それは複合的なもので、一言で片付けられるものではありません。良い作品は、作者と観客という人間の垣根を易々と乗り越えると感じます。  自分が思っていることをそのまま感じる人が分かってくれる人として自分とつながるのではなく、むしろ自分が思ってもいないことを作品から感じ、その人の中で勝手に深く広く、まるで鐘が響くように反響する人とのつながりが本当のつながりなのです。  作品に対する勘違いや思い込みこそが個人の表層を突き破るキーワードだと思うのです。例えばゴッホのひまわりを見て笑う人もいれば涙を流す人もいるでしょう。その人達はゴッホとつながっている、ひょっとしたら19世紀の、ゴッホの絵に無関心だったオランダ人やフランス人よりも深く。    他人同士分かり合えない絶望感をひっくり返すには並のつながりではダメで、自分でも理解しきれない部分の領域を掘っていくしかないということが実感としてここ数年でよく分かりました。そういう種類のつながりでなければ渇きが癒えなくなってきたように感じます。まさに焼け石に水。  違う体験を通してそちらの領域を掘ってきた人と地下でつながる可能性にかけて。  「あ、こんにちは。こんなところで人に出会うなんて。あなたはどちらから?」  みたいな会話を暗闇でしたい。    作品を発表し続けている作家にはそれぞれ異なった動機があるとは思いますが、少なくとも皆常軌を逸した寂しがり屋なのかもしれませんね。
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暑苦しいメモのお詫びに涼しげな小千谷紬の断片。

大人の子供の日

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 朝からからりと晴れ。  こいのぼりを見に田んぼを散歩。  遠くからだとちょっと干物っぽい。    5月になるとよく見に行く場所ではありますが、やっぱり毎年まあ見ておこうかという気持ちになります。  田んぼの途中の小さな川の上に並べられる地味なスポットなのでほとんど人はいませんがそこがいい。  ふらっと下を歩けます。
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 やはり真下からだと迫力あって綺麗ですね。  昼間は夏のような暑さで、タープを張って七輪で肉を焼き、知り合いがバカルディを買ってきて作ってくれたモヒートを飲む。ミントが美味しい。サザエのつぼ焼き日本酒。  涼しい風が吹いてきて庭の椅子に座ってコーヒー。のんびりと1日が過ぎて気持ちのいい夕方を迎えることができました。なんという贅沢。  
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 いつもより大きな月を眺めながら帰宅。完璧な1日でした。    

雨の散歩道

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 通る必要はまったくないけれど雨の日に歩きたくて遠回りして行く道があります。    線路の下のそれは舗装されていないけれど踏みならされていて、傘なしで歩けます。右手にはアスファルトの歩道があって、さらにその外側が車道です。それら3本の道が並行にまっすぐ続いているところがあるのです。    ほとんどの人は右の道を行くので、この左の傘いらずの道では誰にも会ったことがありません。  左右の道の間にはまあまあ大きな木々が茂っている上に道そのものに高低差があるのでこの道はちょっと隔離されたような雰囲気。  まるで町の中にいながらふと林に迷い込んだような気分。しかもひょいと見下ろすと下の道を行く人たちが見えて面白い。  土と落ち葉で足の裏が心地いいのもポイントが高い。途中なんだかよく分からないがらんとした広場があったり、どんぐりやその他種子類、紅葉した葉など見かけられるのも散歩としては目が飽きなくていいです。  雨は好きですが、こういう歩く道がさらに楽しくさせてくれるのはちょっと贅沢な気分。花粉も落ち着いてきたし、外を歩くのにはいい季節です。
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 そして唐突に出現するベンチ。

春の嵐

 なにやら様子がおかしいと思っていたら強風とぱらぱら雨。のち嵐。レインウェアを着てアトリエへ。夜になって雨戸を閉めてもガンガンと誰かが叩くような激しい風の音。  帰宅してニュースで全国的にかなりの被害だったことを知りました。交通網の麻痺、死傷者。  一見綺麗に整理されているものや何事もないようにのどかなことのすぐ隣には混沌とした、人の力では全く制御ができない自然があるというのをこういう日には思い出します。  それは当然のことなのですが、自然を活かし、利用し、便利に当たり前に過ぎる日々が自分の力でコントロールしている錯覚をいつしか与えるのかもしれません。油断と慢心がセットでやってきます。分からないことの方がいっぱいなのに。なぜ今日嵐が来たのかさえ分からない。  本当は混沌と混沌のあいだで生かされているという方が正しいのかもしれません。そういうものの中でそれをどう捉えるかということが人に希望を与え、あるいは絶望させる気がします。  雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズは、目を逸らさない耳を塞がないで混沌とどう付き合っていくかということを言っている気がしてなりません。

鐘が鳴る

 寒中腐食中にゴーンと寺の鐘が鳴りました。  しばしの黙祷。  黙祷しながら1年前の同じ日時を思い出しました。  以前いたアトリエは、道とほとんど高さの変わらないコンクリートの上にシートを敷いて水道とトイレを付けといた、というような簡素なものだったので強い揺れはほとんど感じずに絵を描き続けていましたが、手元がぶれて気持ち悪くなり机でうつ伏せに寝ていました。やけに余震が長く、背後のマップケースもばんばん開いてくるので押さえました。窓の外では電線が縄跳びの縄のような動きをしているのが見え、初めてただごとではないと気付きました。自転車だったので帰宅するまで交通網が混乱していることにすら気付きませんでした。    連日311関係のニュースが流れない日はなく、1年経った実感がありません。先日のことのよう。  個人的にこの1年で制作する場所は変われど、去年と同じように描いたり腐食したりが出来ていることは間違いなくありがたいことだと感じました。  鈍感な自分でも、当たり前の日々がそうではなかったんだというふうに感じるくらいに瞬間的に世界が変わってしまうようなことが起きるという現実があり、またそんなこと考えないでいられた、戻らない過去があります。  鐘の音を聞いているうちに心にだんだんと余波が広がるように思います。

霞たなびく眼鏡

 暖かくなってきたということは花粉もやってくるということ。  10年に渡る防戦一方の戦いで付き合い方も慣れてはきました。多い年少ない年。今年はどうでしょうか。  マスクをして歩くと眼鏡が息で曇ります。どこに行ってもぼやけた風景。  人に会う時は顔が見えなくて困りますが、ただ一人で歩いている分には霞のたなびく中をゆくようでそう悪くないなと思うくらいの余裕が出てきました。大したもんです。  しかしやっぱり鼻水は辛い!  毎日雪解け水のように流れてゆきます。
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春まだき

 自転車に乗りながら顔や首に突き刺さるようだった寒さが今日は滑らかに感じました。最近そういう日があったりなかったり。知らん顔してるような樹にもつぼみがちらほら見えます。  毎年似たような違った春が必ず来るけれど、それを毎年毎年待ち遠しく感じます。  春がやって来ることと秋を迎えることを全く違ったことのように捉えているというのは、同じように廻る季節に過ぎないのにまったく不思議。  そう言えば一人の人間の中にも季節のようなリズムがあるようです。  冬のような沈静した、あるいは吹雪のごとく厳しい時期には春はまだかと思い、雪解けのように色々なことが動き出すとその感覚に酔いながら、さらに先の木々が繁茂する夏を期待します。自分はどの季節か、などといつのまにか考えています。  1点の作品を生み出す時にも小さな四季が。  制作者自身の中にもやはり四季があります。
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 親子連れの鴨がすいすい水面を横切っていきます。  子鴨は素早く潜ってしまいました。

彼岸の景色

 出来がいいのといまいちなのがありますが、最近は「当たり」の率が高い気がします。  夕焼けの話です。  気温や湿度とかが関係してるんでしょうか、連日寒乾。  次の電車まで時間があいてしまい、顔を上げて見ると反対側のプラットホームには夕焼けに富士山。木立のシルエット添え。
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   色が移り変わっていくさまは、待ち時間の退屈を一時感じさせずにおく力があるようです。